【自己紹介】
枦川製茶の枦川美紀です。
私たちは普段、家族5人でお茶の生産や製造、販売を行っています。
23歳の時に夫の寿司(ひさし)と結婚し、お茶づくりに携わるようになりました。
茶畑での農作業にも関わっています。
私生活では3人の子どもの親でもあります。
お茶づくりと並行して、子どもたちにお弁当を作ることが日課です。
【知覧茶について】
知覧茶の起源は
平家の落人が北部 山間地の手蓑(てみの)でお茶の栽培を始めたという古い言い伝えがあります。
本格的な栽培は、明治元年 薩摩藩主 島津氏の軍役地である杉の美林を伐採。
そこを村人に払下げ、同5年に山野を開墾。
茶の実をは種させたのが始まりです。
以後 技術者を招へいして茶業組合を設立し、宇治茶の製法を習い、緑茶の製造所を設置、生産拡大に努めました。
大正9年
製茶機械一式のすえつけを初め、以後 摘採機の奨励や共同機械製茶所を設けるとともに
長崎、福岡、朝鮮に出張し、販路の拡大や見本市を沖縄 名瀬に開きました。
毎年約10万貫程の茶を移出し、知覧茶の名声を広めました。
昭和3年
御大典記念事業で、向こう5年間に300町歩の新植茶園を増加する計画。
昭和5年
鹿児島県立 知覧茶業分場が創立。
茶園5町歩に採草地2町歩。
その他一切の設備を村が負担し、8万円ほどを投じ試験場を誘致しました。
昭和9年
県の奨励で紅茶工場を設置。
昭和13年
天覧に供する紅茶を製造。献上の栄光を得ました。
昭和40年代初め以降、紅茶の生産拡大を推進していました。
しかし貿易自由化で国産の紅茶の低迷し、それに伴い抜根されました。
そこから緑茶への転換をはかります。
知覧町は茶を基幹作目に定め、
北部地域は山間冷涼であることから上級茶の生産地帯に、
中南部地域は温暖で土地基盤整備が確立したことから大型機械化の体系による低コストで良質なお茶の生産地帯として主産地体制確立に努めています。
私たちは、北部地域に位置していることから山間冷涼な気候のもと、上級茶の生産に努めています。
「お茶でホッと一息」
日本といえば、なんといってもお茶です。
体の芯まで温まり、心まで癒されるお茶。
「まずはお茶一杯」を心掛けるようにしたいものです。
お茶をじっくりとご家族で味わってみてもよし、
御歳暮やいろいろなお返しなどに贈られても喜ばれるかと思います。