本村農園
「農業を自分の仕事にしたい」と22歳で農家の道を決意。「品目は少なくても、こだわって作りたい」と20年以上に渡り、主に米やきゅうりを作り続けてきました。米麺の存在を知り、そのおいしさに惚れて自分の米で作りたいと2021年商品化。「米や米麺を通して、日本一のクスノキがある蒲生のことも全国の人に知ってほしい」。SNSを通じてネットワークも広がり、新たな挑戦は続きます。
鹿児島市中心部から車で40分。姶良市蒲生(かもう)ののどかな田園風景が広がります。清流に育まれた蒲生の米から、今年、新たな商品が生まれました。米でできた麺「おこめん」。
ツルツルしたのどごし、もちもちしてコシのある食感はつゆやスープによく絡みます。
作ったのは、蒲生に生まれ育ち、22年間米作りを続ける本村裕さん。
農業研修で米麺に出会い、歯応えがあり、お米の味が生きたおいしさに惚れました。「自分の米で作ってみたい」とインターネットで調べ、広島の製造会社を見つけてすぐに連絡。本村さんの「ヒノヒカリ」で製麺してもらうことになりました。
2021年2月に完成。「鍋に入れるとしっかりと味が染みて美味しかった。これまでとは違ったお米の新しい味わいを感じて、自分の作った米が新しい形の商品になり感動した」と振り返ります。
実家が農家だったため小学生の頃から手伝いをしてきた本村さん。農作業の大変さがわかるからこそ、あえてその道に進みたいとは思わなかったと言います。高校卒業後は大工として大阪で2年間働きました。成人式で帰省した時、地元の友人たちに会い、故郷の風景を見て、「地元に帰りたい」との思いが強まりUターン。当初は興味がなかった農業も、「定年がなく、自分の体が動けば続けられるのは性に合う」と興味がわき「自分の仕事にしよう」と決意しました。当時、22歳での就農は飛び抜けて若手。年長者にかわいがられ、酒の席にもよく顔を出して話を聞き、知識や経験を積んでいきました。たどり着いたのは地元の牛糞を堆肥にし、できるだけ農薬を減らして自然の力を利用する米作り。現在は5町6反(16,800坪)の田んぼの面倒を1人でみます。
「おこめん」は農業の道22年で初めての商品化。本村さんの思いは、自分の作った米を食べてもらいたいというだけではありません。